文化遺産や伝統工芸の重要性


 イランの古い文化遺産である伝統工芸は、その多様性、歴史、美しさにより、世界におけるそれらの魅力や価値につながっています

イランの伝統工芸には、織物、絨毯、衣服、布の装飾、木工、金属工芸、石工芸、陶器などがあり、さらにその下には、より多くの種類が存在します。

 この番組ではイランの伝統工芸をイランの古い価値ある文化遺産として紹介しています。今回の番組では、イランをはじめとする世界の文化遺産や伝統工芸の重要性についてお話しすることにいたしましょう。

通常、文化遺産というと、先人たちの史跡や建造物を思い浮かべます。シーラーズ近郊のペルセポリスやイスファハーンのナグシェ・ジャハーン広場などイランの歴史遺産の他、ローマやアテネの町の観光、中国やインドの古代遺跡といったものを思い浮かべるでしょう。しかしながら これに関して少し注意深くなってみると、過去の文明の産物であり、それぞれが先人たちの神秘に溢れた生活を表す手書き写本や芸術作品、考古学者によって発見された遺物のことを思い出すでしょう。さらに詳しく研究してみると、言語や信条、伝統、慣習など形のない多くのものが文化遺産とされていることがわかるでしょう。

  一方で、文化遺産とは正確に言うと何なのでしょうか。文化について語るとき、その一つとして芸術作品の生産があり、音楽、映画、演劇、書籍などの分野を挙げることができます。また社会において「一般の文化」として語られるものには、人々の日常の慣習や衣装、言葉などが含まれます。これは多くの人が注目するものであり、メディアのプロパガンダもそれに集中します。これを強化するために、「文化作り」という言葉までもが用いられ、人々の行動の変化は、それによって定義されています。

 実際、文化は樹木のようなものであり、根や幹、枝が長い時間をかけて形成され、もし葉や実をつければ、それはこの幹や根や、その中で行われている作用・反作用のためです。そこでもしこの木を生き生きと実りあるものにしたければ、その根とそれが置かれている環境に注目を寄せるべきなのは当然でしょう。

 あらゆる民族や国民のアイデンティティや真正性の象徴、真実の根源は、過去の文化遺産であり、研究者や思想家たちの言葉を借りれば、それは小さなカテゴリーに収まるものではなく、大きな集合体のもとにあるものです。文化遺産はすべてのものに影響を及ぼし、この影響を受けないものはありません。文化遺産は木のようなものであり、私たちはそのお陰で生まれ、成長し、私たちの生き方に影響を及ぼしています。とはいえ、私たちの生き方もまたその成長に影響を及ぼしますが、決してその木自体を消滅させることはできません。私たちが生きる中でその枝を断ち切ったとしても、木の根は存在し、再び芽を出すのです。

 「文化遺産」は先人たちと繋がる唯一の手段であり、彼らを知るための確かな方法です。それによって彼らがどのように生活し、どのような慣習や思想、見解を持っていたのかがわかり、歴史を歴史書よりも顕著に理解することができます。例えば、アメリカといった国では、このように文化遺産を重要視することはできません。なぜならその歴史は限られたものであり、ある程度、残された文化遺産を参照することができるのは先住民だけだからです。しかしながら、イランのような古い国では、数千年前の村や町の生活の跡が残されており、それを参照したり、文化遺産を知るための多くの源が存在します。

 イランの数千年の文明は、現代人にとっての大きな遺産であり、これらの遺産は彼らの歴史的、民族的アイデンティティを構成しています。この遺産は、様々な数多くの象徴を有し、そのそれぞれが、この地と民族の古代の文明の輝かしい歴史を再現しています。様々な分野でその姿を現し、イラン人のアイデンティティや趣向、芸術を物語っているものの一つに、伝統工芸があります。

 紀元前およそ8000年から4000年までは新石器時代として知られています。新石器時代は農耕や家畜の飼育が開始された時代とされています。この時代には、現在のイランの領土を含むアジア南西部の一部の地域で、人間は食料を採集したり、狩をしたりすることから、農耕や放牧に従事するようになりました。この時代の発明について、石の車輪とボートをあげることができます。さらにこの時代には定住が始まり、初めての集落が出現しました。定住や建物作り、農業には灌漑が必要でした。

 イランの石器時代の最も古い遺物は、古代のギャンジダッレの丘に関するもので、イラン西部イーラーム州のアリーケシュ(イラン人に要確認)とケルマーンシャーの近くにある水車です。人々はこの広大な地域で暮らし、初めて小さな集団で一か所に定住し、初めての集落を誕生させました。遺物は石の道具を作る人間の活動を示すものです。その道具の中には、ぎざぎざのついた刃物などがあります。植物の種を植えることで作物を収穫することを覚えた人間は、それらを備蓄することを余儀なくされました。人間は暑さや湿気に強い、穀物を腐らせない器を必要としました。このため自然の形からインスピレーションを受け、水と泥を混ぜて初めての容器を作ったのです。

 イラン西部コルデスターン州のズーヴィーエの丘から出土した遺物は、20世紀の発見であり、その具体的な例として、ワシの形をした器の芸術的な美しい破片を挙げることができます。この器はラピスラズリで作られており、高さは14センチあり、大きな器の一部は儀式で使用されていました。

 研究や調査から、また考古学的発掘調査の中で見つかった様々な遺物から、イランがインドや中国と共に、世界の伝統工芸の主な中心地であったと考えられます。この中で、イランは伝統工芸の分野で多様性を有していることから、これらの国の中でもトップの地位を誇っています。イランにはおよそ152種類の伝統工芸があることが知られており、さらにその下には253種類の工芸が存在します。

 イラン、インド、中国の伝統工芸は長い歴史と、豊かな経験を有しています。これらの国の伝統工芸は文化的に高い役割を果たしているほか、数百年、数千年の間、一種の経済的、社会的バランスを維持してきました。というのもこの種の産業は常に町や村の職人たちに仕事と収入を生じさせ、それが村の経済を繁栄させる重要な要素とされていたからです。

 数千年前の伝統工芸の存在は、その時代の人々の文化や芸術、信条、風俗習慣を集約したものです。これらの作品は私たちに、かつての人々がどのようにものを考えていたのか、神との繋がりはどのようなものだったのか、彼らの物質的な生活はどのようなものだったのかということを教えてくれます。これらの作品は博物館の収蔵物ではなく、装飾のために作られたものではありません。伝統工芸はかつて人々の日常生活において使用され、人々はそれらと共に生活していました。例えば、イラン人は手織りの絨毯や敷物の上に座っていました。また彼らの文化や芸術から生じた模様の彫られた容器から水を飲んでいました。また自ら織った衣装を身に着けていました。すべてが芸術であり、生活の中の伝統工芸はそれをより美しいものにしていました。

この番組では、イランの伝統工芸の色彩豊かな美しい、驚くべき世界を訪れてまいります。その世界は、イランの芸術家たちの手によって作られた美と芸術と人生への愛着に溢れた世界です。次回からこの世界への旅に出ることにいたしましょう。

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