「テロと戦った国民的英雄、
故ガーセム・ソレイマーニー大将」
WEB展覧会


美しいイラン・ウェブ写真展



 

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イランではShahivar月31日(西暦9月23日)から1週間にわたって聖なる防衛の週となずけられています。この週を記念いたしまして、駐日イラン・イスラム共和国大使館文化参事室(イラン文化センター)は、「聖なる防衛」WEB展覧会を開催いたします。

https://www.artsteps.com/view/613c81772251c4d965cde828?currentUser

皆様のご来場をお待ちしております。またご友人をはじめとする皆様へこのWEB展覧会をご紹介いただければ幸いです。

 

サッダーム・フセインのイランへの侵攻

国民によるイラン革命の勝利後、イラン国民の勝利を亡きものにしようと目論む一部の西欧諸国の扇動により、サッダーム・フセインが支配する独裁国家イラクとイランの不和は決定的なものとなりました。結果として世界数カ国から支援を得たサッダーム・フセインは、このできたばかりの自立した独立国家イランを滅ぼそうと、一方的に攻め込んできました。

近代以降イランは、戦争を仕掛けてはいません。イラン革命以後40年が経過してもいかなる戦争にも加わっていません。ただ必要に応じて自国を防衛しているだけです。その例がサッダーム・フセインの侵攻に対する防衛(イラン・イラク戦争)であり、ダーイシュ(ISいわゆるイスラム国)に対する防衛になります。

聖なる防衛 Defā-ye moqaddas と名付けられたサッダーム・フセインに対する防衛
イラン人は、サッダーム・フセインの侵攻への対抗と国土防衛、つまり所謂イラン・イラク戦争を「聖なる防衛」と呼んでいます。
この名称は、イラン人が戦争を始めたものでなく、自国の国土と国民を守るための戦いであったがゆえに、偉大なる最高指導者イマーム・ホメイニー(ホメイニ師)が、イラクから強要されたこの戦争を包括的な総動員に基づく「聖なる防衛」と名付けたものです。それは、この戦争に勝利を収めたばかりでなく、多くの成果と経験をもたらしました。

イスラーム的な教えに従えば、国土、治安、国民を守ることは、宗教的・国家的義務となります。「殉教shahādat」ということばは、もし神の道、国土や自国民を守るために命を落としたならば、その行いは神聖であり、殉教者shahīdとなることを示しています。たとえ、自らの義務を果たすため侵害者に敗北を喫して落命したとしても、その人間は殉教者であり、勝者であるといえます。つまり「殉教者」は非常に神聖なことばといえます。

戦争開始
1980年9月7日、イラクは、イラン革命後国民が国づくりを始めて1年という状況で全軍を挙げて侵攻を開始し、南部のホッラムシャフルやアーバーダーンを始めとするイランの様々な都市を征服しました。これにより、多くの非戦闘員が殉教するに至りました。

国際社会がサッダーム・フセインによる侵略と認定
1991年、ハビエル・ペレス・デクエヤル国連事務総長は、国際連合イラン・イラク軍事監視団(UNIIMOG)の見解に基づき、公式にサッダーム・フセインとイラクを戦争開始者として認定、戦争賠償を求めるイラン側の要求を支持しました。
こうしてこの戦争は終わりました。占領者と侵略者の手から領土を完全に保全することができたというイラン近代史上初めての出来事でした。

1981年に、イラン映画の新しいジャンル「聖なる防衛」が誕生しました。「聖なる防衛」ということばは、イランの人々からイラン・イラク戦争を指して用いられています。8年間に及んだこの神聖な防衛戦は、イランの軍事・文化・経済・社会全体の活動に大きな影響をもたらし、イラクの侵攻に対してイランの全領土保全を実現しました。
サッダーム・フセインのイラン侵攻に関する映像の一部(映画『父の畑Mazra‘e-ye pedarī』より)

イラクによる毒ガス攻撃
サッダーム・フセイン独裁時代のイラク政府は、自国民に対し大規模に化学兵器を用いていました。それを同じようにつまりマスタードガス、サリンを戦争でイラン国民に対しても使用したのです。1985年の2月、イラク軍は神経ガスや化学兵器びらん剤(ガス)と血液剤(ガス)による攻撃を始めました。イラクによるこのような化学兵器の使用例として、1988年3月イランに味方するクルド系イラク人に対する攻撃が挙げられ、5千人を殺害、7千人が負傷を追うに至りました。
イランに対するイラクの化学兵器による攻撃は何度も繰り返され、国連もサルダシュトを例に挙げ、史上はじめて一国政府が化学兵器によって他国を侵害したものと記録しています。このサルダシュト市には、「広島通り」が存在します。広島市の医師でNGOモーストの津谷会長によって同市との関係が始まりました。サルダシュト市では、イラクの毒ガス攻撃により数千人が殺害または回復不能の障害を負わされました。

イラン革命が始まって1年7ヶ月も経っていない状況で戦争が始まりました。イラン・イスラム共和国軍は再編中で、国内のあちこちで様々な事件が起こっていました。

 

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