http://tokyo.icro.ir/

トップニュース
「サッダーム・フセインの侵略に対するイラン国民の防衛」が開催されます。
現代イランの家族について─家族保護法から
第三回東京イラン映画祭2020開催
「ホメイニー師の人物と立場」
バーチャル学術会議「パレスチナと人権」
世界クドゥスの日バーチャル会議


  Print        Send to Friend

イランの偉人

バールバドは、サーサーン朝ペルシャ時代の最も有名な音楽家、吟遊詩人、楽器バルバト(ウド)の名手である。生年は不明で、没年は628年である。バールバドの出目及び出身地には諸説あり、最近の研究成果ではファルス州ジャフロム市の出身とされている。バールバドの生涯は史料と呼べる記録はなく、不明な点が多々ある。ペルシャ語とアラビア語の史料に記された記録は、虚構を含む物語である。サーサーン朝ペルシャ時代は、イランの歴史の黄金時代である。第十五代の王バハラーム五世は、インドから一万余人の歌舞音曲の巧みな芸人を招いて イラン に住まわせたという伝説がぁる。またホスロー2世の治世は、音楽の最も栄えて華かな時代であった。その時代の有名な音楽家としてバールバドと、バームシャード、ナキーサーの名がよく知られている。とりわけバールバドは詩人としても知られていた。彼は、ホスロー2世の宮廷楽師として採用された。ペルシャ伝統音楽の旋法体系であるダストガは、サーサーン朝で発展した音楽を源流としており非常に深い関わりがある。またサーサーン朝のダストガーはアラブ音楽のマカームに大きな影響を与えてきた。バールバドは初めてダストガを生み出した人物とされて いる。彼はホスローのために30のメロディー(-月の日数)と360曲の歌(一年の日数)を作ったと伝えられている。バールバドは事件を詩と歌でホスロー2世に伝えていたと言われている。シャブディーズ(闇夜)という俊足の黒馬は、ホスローの愛馬であった。バールバー:は、ホスローの愛馬の死を歌でホスローに伝えた話がよく知られている。バールバドが得意としたササン朝ペルシャの楽器バルバトは東漸して、はるばる日本にまで到達した。この楽器は中国では「ピパ」と呼ばれ、この曲頚琵琶が日本に雅楽 の楽器として伝来し、名称もそのまま琵琶(びわ)と呼ばれた。

 


12:58 - 15/04/2019    /    Number : 727632    /    Show Count : 189


Rating
Users Comment
No Comment for this news
Your Comment
Name :
E-mail : 
*Comments :
Captcha:
 

Close